七夕が近づくと、笹に揺れる短冊が目に入る。
「サッカー選手になりたい。」
「ケーキ屋さんになりたい。」
「ピアノが上手になりますように。」
子どもたちの願いは、どれも未来へ向かって伸びている。
見ているだけで、こちらまで少し元気をもらえる。
ふと、自分もあの頃は、今の子どもたちと同じように、目を輝かせながら短冊を書いていたのだろうと思った。
「なりたい自分」を疑うことなく信じ、
楽しく夢はどこまでも広がっていた。
ところが、
大人になって短冊を前にすると、不思議なくらい願いが変わる。
家族みな、子供たちもみな健やかであるように。
仕事が無事に進みますように。
今年も穏やかな一年でありますように。
…
数年前は必死で独りよがりでもがいて
「何かを手に入れたい」と願っていた。
しかし
50歳直前になり「今あるものが、このまま続いてほしい」と願うようになる。
だけど
どちらが良いという話ではない。
それだけ、大切なものが増えたということなのだろう。
若い頃には、当たり前すぎて
願いにさえならなかったものが、
いつしか一番の願いになっている。
息子や娘たちの笑顔。
「おかえり」と言える食卓。
そして、気の置けない大切な友との時間。
酒を酌み交わしながら、祭りのことを熱く語り合う。同じ話を何度繰り返しても、なぜか毎回盛り上がる。
また故郷の友らはいまでも、
「帰るなら必ず連絡よこせ」と言ってくれる。
そんな何気ない
友や大切な人との時間が、昔よりずっと愛おしくなった。
今は、すぐそばにあるものの尊さに気づかされる。
「いつも通り」は、
気づけば、ずいぶん贅沢な願いになっていた。
今年、短冊を書く機会があったら、少し立ち止まって「今」を考えてみたい。
子どもの頃の自分なら、何を書いてたのだろう。
そして今の自分は、何を書くのだろう。
同じ七夕でも、その答えは歳を重ねるたびに少しずつ変わっていく。
それは、願いが小さくなったからではない。
守りたいものが増えたからなのだろう。
それもまた、悪くない。

