日本には、ありがたいことに四季があります。
春、夏、秋、冬。
はっきりとした季節の移り変わりのなかで、私たちは日々の平穏を祈りながら暮らしています。
春には花が咲き、夏には清涼を求め、秋には冴えた月に心を和ませ、冬には凍てつく寒さに身を縮める。
大雨が降り、風も吹く。
花が咲き、鳥が鳴く。
やがて稲穂は黄金に実り、水は清く、四海の波は平らかに。
自然の恵みのなかで暮らしていることを思えば、ありがたい国に生きているものだと思います。
人生にもまた、四季がある
こうして自然が移ろいながら一年を巡ってゆくように、人生もまた、自然の営みの一つであるのなら。
人生にも、冬のような時代があるのでしょう。
そして、春のような時もある。
高波に大切なものを失うこともあれば、穏やかな凪のなかで、平和のありがたさを噛みしめる日もあります。
人生もまた、巡り巡ってゆくものなのかもしれません。
「必ず春が来る」だけではなく
人を励ます言葉として、
「どんなに寒い冬でも、必ず春は来る」
という言葉があります。
私も、よい言葉だと思います。
けれど最近は、それだけではないような気がしています。
冬を「耐えるべき悪い季節」として、春だけを待つのではなく、冬には冬のよさがある。
春には春のよさがあり、夏には夏のよさがあり、秋には秋のよさがあり、そして冬には冬のよさがある。
どの季節も、それぞれに違う姿を持っています。
春だけがよい季節なのではありません。
今いる季節を生きる
人生も同じなのかもしれません。
調子のよい時だけを喜び、苦しい時をただ否定するのではなく、その時々を、その時々のものとして受け止める。
季節が移ろうたびに心を乱すように、人生の出来事に一喜一憂するのではなく。
春なら春を。
夏なら夏を。
秋なら秋を。
冬なら冬を。
その時にしか見ることのできない景色を、静かに見つめられたらと思います。
生きることも、老いることも
そう考えてゆくと、生きることも、老いることも、そして、いつか死を迎えることさえも、自然の大きな営みのなかにある当たり前のことなのでしょう。
頭では、そう思います。
けれど、それらをいつも虚心平気に受け止められるかと問われれば、私にはまだまだ難しい。
春を喜び、夏の暑さに疲れ、秋にものを思い、冬の寒さを疎ましく思う。
人の心もまた、季節のように揺れ動きます。
だからこそ、日々の忍耐があり、修行があるのかもしれません。
春を待つことだけを願うのではなく、今いる季節を生きる。
冬には、冬のよさがある。
そんなことを思いながら、今日も移ろう季節を眺めています。
最近の雑感です。

