春秋余話 ― 心ほど、思い通りにならないもの

春秋余話

明治天皇の御製に、こんな一首があります。

しのびても
あるべき時に
ともすれば
あやまつものは
心なりけり

私はこの御製を読むたびに、人の心というものを考えます。

もう少し我慢すればいい。

今は言わない方がいい。

腹を立てても仕方がない。

頭では分かっているのに、なかなかその通りにはできません。

人間にとって、自分の心ほど身近なものはないはずなのに、その自分の心が一番思い通りにならない。

歳を重ねるほど、その難しさを感じるようになりました。

分かっているのに、できない

若い頃は、正しいことを知れば正しく生きられるような気がしていました。

けれど、実際はそんなに簡単ではありません。

言ってはいけないと分かっているのに、言ってしまう。

怒らなくてもいいところで、腹を立てる。

もう少し待てばいいのに、焦って動く。

後になれば、「なぜあんなことをしたのだろう」と思う。

おそらく誰にでも、一つや二つは覚えがあるのではないでしょうか。

知識が足りなかったのではありません。

その瞬間には、知識よりも感情の方が強かった。

だからこそ、この御製の「あやまつものは心なりけり」という結びが心に残ります。

我慢すればいい、という話でもない

ただ、この御製を「何があっても耐えなさい」という意味だけで受け取るのは、私は少し違うように感じています。

耐えることが必要なときはあります。

一方で、耐え続けることが正しいとは限りません。

離れた方がいい場所もあるでしょう。

誰かに助けを求めた方がいいこともあります。

自分の考えを伝えなければならない場面もあります。

難しいのは、「耐えるか、動くか」そのものではありません。

今の自分の心が、何に動かされているのかを見極めること。

怒りなのか。

焦りなのか。

意地なのか。

見栄なのか。

それとも、考えた末に出した決断なのか。

そこを自分自身で見分けることの方が、ずっと難しいように思います。

心は、すぐに理由をつくる

人の心というものは面白いもので、自分の行動を正当化する理由をすぐに見つけます。

「相手が悪かったから」

「仕方がなかったから」

「自分は間違っていないから」

もちろん、本当にそういう場合もあります。

けれど、少し時間が経って心が静かになってから振り返ると、別のものが見えてくることがあります。

あれは正義感ではなく、ただ腹を立てていただけではなかったか。

相手のためと言いながら、自分が言いたかっただけではなかったか。

正しいことを伝えたかったのではなく、勝ちたかっただけではなかったか。

自分の心を見るというのは、なかなか厄介なものです。

歳を重ねても、心の扱いは上手にならない

若い頃、歳をとれば人間は自然に落ち着くものだと思っていました。

そんなことはありませんでした。

歳を重ねても腹は立ちます。

迷います。

焦ります。

人と比べることもあります。

余計な一言を言って、後悔することもあります。

ただ、若い頃と少し違うところがあるとすれば、心が動いた瞬間に、ほんの少しだけ立ち止まれるようになったことでしょうか。

「いま、自分は腹を立てているな」

「これは今日決めなくてもいいな」

「この一言は、言わなくてもいいかもしれない」

それだけでも、ずいぶん違います。

心を完全に支配することなどできなくても、心にそのまま引っ張られないことはできるのかもしれません。

言葉の前には、心がある

以前、「言葉には、その人があらわれる」という文章を書きました。

言葉を選んでいるつもりでも、何気なく発した一言に、その人の心が出ることがあります。

今回この御製を読み返していると、そのさらに一つ前にあるものを考えました。

言葉になる前に、心が動いている。

怒りから出た言葉。

焦りから出た言葉。

相手を思って出た言葉。

同じ言葉でも、心のありようによって届き方は変わります。

だから言葉だけを整えようとしても、なかなかうまくいかないのでしょう。

まず自分の心を見る。

簡単なようで、こちらの方がずっと難しい。

春秋余話 ― 言葉には、その人があらわれる

自分の心と、少し距離を置く

腹が立ったとき、その怒りが自分のすべてになってしまうことがあります。

悲しいときには、この悲しみがずっと続くように感じる。

うまくいかないときには、何もかもうまくいっていないように思える。

でも、心は動きます。

昨日と今日でも違う。

朝と夜でも違う。

一晩眠っただけで、昨日あれほど腹を立てていたことが、どうでもよくなることさえあります。

そう考えると、心が大きく動いているときほど、すぐに結論を出さなくてもいいのかもしれません。

少し待つ。

一度黙る。

眠る。

そして、もう一度考える。

それもまた、自分の心と付き合う一つの方法なのでしょう。

心ほど、思い通りにならないもの

自分の身体なら、自分のものだと思えます。

自分の言葉も、自分で選んでいると思っています。

そして心こそ、誰よりも自分自身のものだと思っています。

それなのに、一番扱うのが難しい。

不思議なものです。

だから私は、この御製を「もっと我慢しなさい」という戒めだけではなく、「自分の心をよく見なさい」という言葉として受け取っています。

心が動くことを責める必要はない。

腹が立つ日もある。

悲しい日もある。

迷う日もある。

ただ、その心のままに、すぐ言葉や行動へ移さない。

ほんの少し立ち止まって、自分の心を見る。

それだけでも、人はずいぶん余計な過ちを減らせるのではないでしょうか。

明治の御代に詠まれた一首を読みながら、そんなことを考えました。

心を思い通りにすることよりも、思い通りにならない自分の心と、上手に付き合っていく。

歳を重ねるというのは、案外そういう稽古なのかもしれません。

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