春秋余話 ― 言葉には、その人があらわれる

春秋余話

同じ言葉なのに、心に残ることもあれば、妙に腹が立つこともある。

歳を重ねるほど、それを不思議に思うようになった。

若い頃の私は、言葉というものを、もう少し単純に考えていたように思う。

正しいことは正しい。間違っていることは間違っている。

だから、正しいことを言えば相手にも伝わるものだと思っていた。

けれど、人と長く付き合っていると、どうもそれだけではないことに気づく。

まったく同じことを言われても、素直に聞ける人と、そうでない人がいる。

何を言われたかよりも、誰に言われたか。

もっと言えば、その人がどんな思いで、その言葉を口にしたのか。

私たちは案外、言葉そのものではなく、その奥にあるものまで感じ取っているのかもしれない。

正しい言葉が、人を傷つけることもある

正論という言葉がある。

確かにその通りだと思う。理屈としては何一つ間違っていない。

それなのに、聞いていて苦しくなる正論がある。

反対に、少し厳しいことを言われても、不思議と素直に受け止められることもある。

その違いは何なのだろう。

私は、言葉の後ろにいる「人」なのではないかと思っている。

相手を本当に思って発した言葉なのか。

自分の優位を示したくて発した言葉なのか。

嫉妬や怒りが混じっているのか。

あるいは、ただ相手に良くなってほしくて言ったのか。

言葉だけを切り取れば同じでも、そこに乗っているものは違う。

だから、正しいことを言っているはずなのに人を傷つけることがあるし、厳しい一言が、その人を支える言葉になることもあるのだろう。

言霊という言葉

日本には昔から「言霊」という言葉がある。

言葉には不思議な力が宿る。

そんな考え方として、今でもよく使われる。

私はここで、言葉を口にすれば、その通りの出来事が起こるという話をしたいわけではない。

ただ、言葉が人に与える力というものは、確かにあると思う。

たった一言で、一日気分が良くなることがある。

反対に、何年経っても忘れられない一言もある。

励まされた言葉を、苦しいときに思い出すこともある。

そう考えると、言葉とは不思議なものだ。

口から出れば、ほんの数秒で消えてしまう。

それなのに、人の心の中では何十年も残ることがある。

言葉には、その人があらわれる

人は、言葉を選んでいるつもりでいる。

けれど本当は、言葉の方がその人を映しているのかもしれない。

普段どんなことを考えているのか。

人をどう見ているのか。

自分をどれほど偉いと思っているのか。

あるいは、人に対してどれほど温かな眼差しを持っているのか。

何気なく発した一言に、そういうものが出る。

これは少し怖いことである。

自分では冗談のつもりだった。

悪気はなかった。

正しいことを言っただけだった。

けれど、受け取った相手にとっては、その一言がずっと残ることがある。

「そんなつもりではなかった」は、言った側の事情でしかない。

私自身、言葉で失敗してきた

こんなことを書いている私自身、言葉を上手に扱えてきたわけではない。

むしろ逆である。

振り返れば、余計な一言を言ったこともある。

正しさを優先して、相手の気持ちを考えなかったこともある。

言わなくてもよかったことを口にしてしまい、あとになって後悔したこともある。

若い頃は、強い言葉を使うことが、自分の意志の強さだと思っていたところもあった。

けれど、強い言葉を使うことと、人として強いことは、どうやら同じではない。

言い返せるときに言い返さない。

相手の間違いが見えていても、今は言わない方がいいと飲み込む。

どうしても伝えなければならないことなら、相手が受け取れる言葉を探す。

歳を重ねるほど、そんなことの方が難しいと感じるようになった。

言葉を磨くことは、自分を磨くことなのかもしれない

美しい言葉をたくさん知っていれば、それでいいわけではない。

難しい言葉を使えることでもない。

大切なのは、その言葉をどんな心で使うか。

私は最近、そう思う。

人を励ます言葉。

人を許す言葉。

感謝を伝える言葉。

間違ったときに、素直に謝る言葉。

そして、ときには何も言わずにいること。

言葉を学ぶということは、語彙を増やすことだけではなく、自分の心の扱い方を学ぶことなのかもしれない。

春秋余話 ― 言葉のあとに残るもの

口から出た言葉は、取り戻せない。

だからといって、一言一言を恐れて生きる必要もないと思う。

失敗したなら謝ればいい。

言い過ぎたと思えば、次は少し言葉を選べばいい。

私自身、これから先もきっと失敗する。

それでも、できることなら、自分が去ったあとに残る言葉は、温かなものでありたい。

人から「何を言われたか」ではなく、「あの人に言われたから心に残った」と思ってもらえるような人間でありたい。

言葉を磨くということは、結局のところ、自分自身を磨くことなのだろう。

そう考えると、昔から伝わる「言霊」という言葉が、少し違った意味で私の心に響いてくる。

言葉に何かが宿るのだとしたら。

そこに宿るものは、言葉を発した人の心なのかもしれない。

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