春秋余話
人生を重ねていると、若い頃には分からなかったことが、ふと分かる瞬間があります。
人との出会い。
別れ。
仕事。
家族。
失敗や挫折。
そして、何でもない一日のありがたさ。
「春秋余話」は、そんな人生の折々に私が感じたことを綴る随筆です。
ここに正解を書くつもりはありません。
誰かを説得したり、自分の考えを押しつけたりするための文章でもありません。
歳月を重ねるなかで、自分自身が考えたこと、気づいたこと、忘れたくないと思ったことを、言葉にして残していきます。
一篇を読み終えたあと、ほんの少し立ち止まって、
「自分はどうだろう。」
と思っていただけたなら、それで十分です。
春秋余話 ― 随筆一覧
言葉の歳月
若い頃は、自分の正しさを伝えることに一生懸命だった。
しかし歳月を重ね、人と出会い、別れ、さまざまな経験をするうちに、言葉に対する考え方も変わっていきました。
誰かに勝つための言葉から、誰かと分かり合うための言葉へ。
願いと歳月
子どもの頃、短冊に書いた願い。
歳を重ねた今、同じ短冊を前にすると、願うことがずいぶん変わっていることに気づきます。
願いが小さくなったのではない。
守りたいものが増えたのだと思います。
試練という文字
人生で思いどおりにならないことに出会ったとき、「試練」という言葉をどう受け止めるのか。
苦しい時間をただ美化するのではなく、その経験をこれからの人生にどう生かしていくのかを考えます。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」を考える
よく耳にする「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉。
本当にそうなのだろうか。
苦しんでいる人に簡単にこの言葉をかけてよいのだろうか。
歳月を重ねた今の自分なりに、この言葉について考えました。
夏至のひかり
一年で最も昼の長い夏至。
季節が静かに移ろっていくなかで、光や時間、そして日々を生きることについて綴りました。
子育てに正解なんてない
子育てには練習がありません。
毎日が本番です。
四人の子どもを育てながら、叱り、悩み、後悔し、そして笑ってきました。
子どもを育てているつもりが、本当は親である自分が育てられているのかもしれません。
「これでいいのだ」というお話
そのときは不幸にしか思えなかった出来事が、後になって自分を救っていたことがあります。
人間万事塞翁が馬。
人生の出来事を、その瞬間だけで幸不幸と決めなくてもいいのかもしれません。
幸せは、どこにあるのか
お金、仕事、地位、人からの評価。
外側から与えられる幸せも、もちろん大切です。
けれど、それだけではなく、自分の内側にも幸せを持つことができたなら。
相対的な幸せと絶対的な幸せという二つの視点から、「幸せとは何か」を考えます。
なぜ「春秋余話」を書くのか
若い頃の私は、もっと強い言葉が好きだったように思います。
正しいか、間違っているか。
勝ったか、負けたか。
そんなふうに物事をはっきり分けたくなる時期もありました。
けれど、人生はそれほど単純ではありませんでした。
正しいと思っていたことが、立場を変えると違って見える。
失敗だと思っていた出来事に、何年も経ってから助けられる。
失ったと思ったからこそ、今あるもののありがたさに気づく。
人は歳月を重ねながら、少しずつ物事の見え方が変わっていくのでしょう。
「春秋余話」は、その変化を残しておく場所でもあります。
十年後に読み返したら、また違うことを考えているかもしれません。
それもまた、悪くない。
最後に
この随筆には、健康記事のような「こうすればよい」という答えはありません。
人生そのものに、誰にでも当てはまる一つの答えなどないからです。
ただ、一人の人間が歳月を重ねながら、こんなことを考えた。
そんな文章を残していきたいと思っています。
気になる題名がありましたら、そこから一篇、読んでみてください。
そして読み終えたあと、ご自身の人生の何かを思い出していただけたなら嬉しく思います。
春秋余話は、これからも少しずつ書き足していきます。
